Fearfulness

研究者の働き方についてのひどい(という反応をしている人が多い)ツイートが目に入った.時間に制限されずに成果を出すような働き方もあってよい,という意図なのかもしれないが,なぜか,「過労死するぐらい頑張る」という部分が付いていたので,ちょっと理解しがたい感じだった. 法は守って欲しいし,そもそもそういう風に成果が出せるものではないのでは?という気もするし,色々とよくわからない. そういえば今の会社にも,優れた知性を持っていそうなとある人が,彼自身の外資系IT企業での経験に基づき,それと似たようなことをSlackでつぶやいているのを見かける.中心にあるStatement(例えば資料や決定事項の開示)についてはそりゃそうだなという感想しか出ない一方で,本当に厳しい環境だと一発でFiredだというセリフは正直シュールな感じだ(そういう世界があるんだなー,でも日本だよ?違法じゃない?).

このあたりのことって,ずっと心に引っかかる.人間はなんでそんなに余計な感情や思いをつけてしまうんだろう.もっとも,僕が今感じている気持ち悪さや理解しえないものへの恐れも,そうした感情と大して変わらないんだけど.もしそれが統計的にしろ法的にしろ間違いだといえたとしても,そういう言動を生んでいるのが彼らの思想信条によるものであれば,どうしようもないもんな.他者の思考を生んでいる仕組みまでは変えられない.だから,この種の問題で悩むのはよそうと思った.ここがそれについて考えたという記録.

そういえば寝かせていた『ファクトフルネス』という本を読み始めた.今のところ,わかりやすく薄くまとめられた暴力の人類史 with 貧乏人の経済学 という感じで,普通の本.21世紀にもなってこういうことを何度も書かれないといけないなんて,本当につらい.あと,本能的なヒューリスティクスに基づく判断には色々な間違いが多いし,知識もアップデートが必要,ということなのに,結局データはこう読もう的な別のヒューリスティクスを導入しているだけじゃないかという気が今のところしている.続きを読んで考えてみよう.